見学会・シンポジウム

仙台昭忠碑見学会・研究会 2017年11月12日 宮城縣護国神社本丸会館

 2017 年11 月12 日(日曜日)、11 時から仙台昭忠碑銅標《金鵄》の見学会、13 時30分から宮城縣護国神社の本丸会館で研究例会が行われました。本研究会員とその関係者19名の他、地元からは護国神社・青葉城資料展示館関係者、石塔の修復を担当した金福建設関係者、仙台市彫刻のあるまちづくり応援隊の市民の方々が参加しました。
 見学会では、石塔正面の基壇上に再設置された作品を前にして、修復を担当した高橋裕二さんと佐藤紀昭さんから、修復と再設置における作業の概要について説明がありました。
 また、複数の地元報道関係者からの取材がありました。

見学会での高橋裕二さん解説

 研究会では、藤嶋俊會会長の挨拶の後、彫刻のあるまちづくり応援隊の村上道子さんから《金鵄》を石塔の基壇上に再設置するまでの経緯が述べられました。次に高橋裕二さんがブロンズ製《金鵄》の修復から再設置にいたる作業の概要について、佐藤紀昭さんが石塔の修復作業とその過程で判明した構造の概要について発表しました。二人の発表に冠する質疑応答の後、最後に村上道子さんの司会で総合討論を行い、東日本震災で被災した昭忠碑についてその修復の意義が話し合われました。

「仙台昭忠碑」鵄部の修復を終えて 髙橋 裕二(ブロンズスタジオ)
「仙台昭忠碑」鵄部の修復と設置が終わり、すでに一年を優に超しているが、あまりに 強烈な仕事であったためか、その後の幾つかの大きな仕事も、ただ淡々と過ぎていくような気がするこの頃である。「仙台昭忠碑」修復ではたくさんのことを考えさせられた。明治の作家たちが「彫刻」をつくる-ことを考えること。「モニュメント・記念碑」を作ることを考えること。文化財としての対象を保存修復するということについて。美術鋳造ということを考える-こと。(それは工業鋳造と美術鋳造の比較をも含んでいる。)また、別の視点として、油画を中心とした近現代作品の保存修復と、彫刻、とりわけブロンズ作品の保存修復との決定的な差異についてのこと、などである。
 油画を中心とした保存修復の原則として、リバーシビリティは欠かせない大切なことである。しかし彫刻について視点を変えると、この原則は往々にして付加的な原則として取り扱わざるを得ない。溶接や化学的着色、使用地金の変更などなど、こと「鵄」に関しては強度と安全性を重視し、視覚的な回復までも求めるためには、原則からは逸脱した修復であったと認めざるを得ない。しかし今回の修復を実施するにあたって、一番重要視したことは明治の作家たちの先進的な表現の自由さ、そしてそれを実現させる時代的な背景を追体験することによって、私たちがかつて遠くからでしか見ることのできなかった「鵄」像を、再現していく大変スリリングなプロジェクトであると確信するに至ったことである。
 この仕事はその確信から、彼ら(=明治の作家たちと鋳造家)を復活させ、そしてそれを支え、現実化する保存修復の事業である という姿勢を崩さずにすすめることを約束させた。

昭忠碑の修復 佐藤 紀昭(金福建設)
 2014年春に、昭忠碑の金鶏落下に伴う石段・基壇等の修復工事のお話を頂き、現場調査をした際に石塔の切裂及び段石の移動、第3層石材部笠石の移動、基礎縁石並びに石柱の移動が西側に集中しており、又石塔の西側の鋳銅部材の使用が見うけられない位置での緑青の流出した跡等が見られ塔内の構造等が不明であるとのお話で2013年発行の屋外彫刻調査保存研究会会報第5号を拝読させて頂いた上でも、煉瓦等の使用数量も合わず、外観よりの推測する以外になく、石塔の構造を解明するには、ボーリング調査が必要になり3箇所を調査することにする。NO.1は石塔上部乙鋳銅部西側、NO.2は第3層石材部上部左側、NO.3は基壇正面の石塔中心と石段中心を結ぶ線上の基台設置位置とする。
 
石段・基壇・基壇笠石・石柱について
 石段・基壇・基壇第1層間知石積等には、基礎砕石等の使用痕跡は見られなかった。又石段袖石の高さが左右で親柱との取付け位置が異っており、今回同じ位置で修復する。尚、石段・基壇の基礎部には砕石C-40を使用した。第1層間知石積みには裏込め砕石等は見受けられず、当時は埋戻材等を使用したものと思われ長い年月の間に流出したと思われる。
 今回は可能なかぎり基壇の取り壊したコンクリート片を充填した。又、石柱間の鉄パイプは取付孔に方尖形鉄材上部にナットを取り付け、パイプ、取り付け材共、鉛で固定されていた。今回これらを削孔し除去後、亜鉛引鋼管φ32mmをボンド・モルタルで取り付けシルバー仕上げする。尚、段石・縁石・石柱等はSUSの固定金具で連結することにした。
 段石の基礎コンクリートには溶接金網φ6×150×150を使用し施工する。

石段 段石撤去 レンガ状況
石塔の内部空間(頂部)

基壇段石について
 第2層石材部段石は西側の段石を撤去した段階で第3層間知石積下部の状態及び第2層段石部下部の煉瓦の寸法・状態・構造等も確認することが出来た。煉瓦の寸法は105mm×210mm×55mmであった。段石は煉瓦の保護と第3層問知石積の保護も兼ねていたものと思われる。今回段石撤去後に煉瓦欠損部は敷きモルタルでカバーし、段石裏側より流しモルタルで充填した。最下部の段石保護コンクリートは、段石の抜け出し防止用の押え保護コンクリートであった。

第3層石材部(間知石積~笠石)
 第3層石材部(間知石積)の下部は、石の大塊を投入した空隙の多くみられるコンクリートで、層厚300mmで出現された。最上部縁石の移動及び木根による間知石との剥離、上部張り石の目地離れ、聞知石合端の開きが見られるが、間知石の抜け出し等は見られない。縁石は一度撤去して、既存モルタル及び木根を処理し除草剤を散布し、モルタルを敷き均し再設置する。上部張り石の目地にカッターを入れ、流し目地モルタルを充填する。間知石合端の開きが見られる箇所は着色モルタル充填目地で仕上げる。

石塔部クラック補修等について
 石塔部のクラック箇所は清掃し、ケレン作業後にエポキシ樹脂を注入した後に着色モルタルで表面処理し、石材面との違和感をなく仕上げる。又、第7層石材部方尖形部分の目地がすべて欠損しており、残存モルタルを撤去し、新たに目地モルタル充填する。

ボーリング調査より判明されたこと
 石塔は建築雑誌などから煉瓦積み構造とわかっていたが、積み方は不明であった。被災後、塔頂部よりのボーリングで基礎部厚さ(基礎栗石層2,050mm、基礎コンクリート厚 1,200mm、煉瓦基礎厚1,300mm)が判明し、基礎段石修復時に幅8,685mmも判明した。段石部の煉瓦は、石塔煉瓦下部の補強もかねていたものと思われる。塔頂部のボーリング孔よりファイバースコープの観察結果より、塔内に人工的空間構造が確認され、この調査孔を利用し小型カメラを挿入し内部を調査したところ、石塔内は空洞で、空間は四角形で四面が壁で構成される部屋のような構造だと推定される。煉瓦積みは上部でアーチ型になり、段を設けて積んでいることが判明した。中空にすることで震動に耐える構造となり、それが今回の大震災にあっても、大きく破損することがなかった理由の一つと思われる。又背面の基壇段石中央の下に水抜き穴と思われる穴が見つかり、内部の水滴を中央に集めて流出させる構造となっていた。又、第7層石材部方尖形部分の目地が欠損していたのは、金鶏を固定していた埋込レールが丁度の位置(塔頂部より1,900mm)になる。尚煉瓦の寸法にモルタル厚10mmとし、各寸法に5mm加算して算出した煉瓦使用数量は161,234枚となった。

削孔
鋼管建て込み

基台設置について
 修復後の金鴫は、石塔上部に再設置は当初より無理と判断し、石塔正面基壇上に台座を設け設置することにする。NO.3調査ボーリングの結果より、地質は会報第5号とは異なり、良好とは言えないまでも杭の根入長・杭の種別でカバーし、鋼管杭は圧力配管用炭素鋼鋼管φ400mm(スケジュール80)L=5,500mmを使用、削孔径φ560mm、削孔長4,300mmとし、鋼管底部・鋼管内外を生コンクリート18-8-40を投入し固定する。尚鋼管内部中心に、芯材として等辺山形鋼50×50×6長さ6,000mmを挿入する。台座は鉄筋コンクリートで外側及び天端は白御影石厚100mm石張り仕上げ(側面割肌・天端ビシャン仕上げ)とし、仕上り高は基壇上より高さ700mmとする。