第18回総会・研究会 研究会要旨

第18回総会・研究会 2018年7月22日 武蔵野美術大学鷹の台校舎

. 動画でみる屋外文化財への環境影響調査のはじまり  権上かおる

 屋調研前副会長の門倉武夫氏は、その上司の江本義理氏(よしみち・1925-92・門倉前副会長の上司で東京国立文化財研究所保存科学部長を務めた)と共に、文化財の環境影響に真っ向 から取り組んだ研究者達です。“真っ向から”の意味は、文化財への影響(材料影響)と汚染 物質の観測(環境モニタリング)、さらに影響予測(材料暴露試験)をお二人は行いました。 現在では、私の知る限りでは環境モニタリングまで行っている研究者を見出せません。
 なぜそうなったかは、現在の状況では、想像し難いと思いますが、大気汚染の激化です。戦後の混乱が収まり、最初は工場などで使用する重油のイオウ成分、やがてモータリゼーションの波がやってきて、自動車排ガスの影響が大きくなりました。
 これらを実感していただくために、昭和 30 年代後半の東京・上野公園の動画をご覧入れた いと考えました。このフィルムは、おそらく 1962-63(昭和 37,38)年に撮影された映画のニ ュース用で編集され、門倉さんがお持ちでした。1986 年、不忍池の水をいったん抜き、地下に 台東区立の地下駐車場計画が持ち上がり、これに反対する活動の中で、門倉さんがご提供くだ さいました。それを 2018(平成 30)年 4 月、江本義理さんの 27 回忌でご子息が、デジタル 化してくださいました。映りの悪いとこはありますが、元のフィルムの存在も今となっては不 明ですので、貴重な映像です。大気中のイオウ酸化物の計測や材料影響を上野公園で行ってい ます。門倉さんの入所早々の若いお姿も。上野公園も広々としています。常磐線の電化は 1963 (昭和 39)年だそうですが、公園に沿って煙を吐いて走る姿も映っています。
 動画は会員専用頁にアップしていただきました。ぜひご高覧下さい。 また、後半には、江本義理さんの文化財の大気汚染影響の講演(約 30 分)もついています。 これは 1991 年 11 月 3 日、今は平成館となってしまいましたが、国立博物館講堂で開催された 「私たちの文化財と環境」の主講演でした。
 最後に、今の上野公園も 1000 本オーダーの樹木が伐採され、環境が激変しています。この 現実も知っていただきたく、パワポにも加えました。
 また、現在の大気汚染と屋外彫刻の状況について、黒川弘毅さんとまとめてご報告したいと 考えています。今回は、大気汚染のはじまりを若い世代に伝えたく、発表の機会をいただきま した。ぜひ動画をご覧くださいね。(屋彫研 H.P.会員専用ページで見られます。)

2. 6 月 17 日(日)に平塚市美術館で開催された公開シンポジウム 「湘南ひらつか野外彫刻展のゆくえ 岐路に立つ彫刻」の報告

午前中は市役所周辺に設置されている作品を見学。中村ミナト作《REVOLVE》

公開シンポジウム報告 篠原 聰

 東海大学課程資格教育センターでは屋外彫刻調査保存研究会の協力を得て、6月 17 日(日) に平塚市美術館で、屋外彫刻の保存と活用に関する公開シンポジウム「湘南ひらつか野外彫刻展のゆくえ 岐路に立つ彫刻」を開催した。このシンポジウムは東海大学連合後援会研究助成金(地域連携部門)として採択された「市民や自治体と共働した地域文化資源(屋外彫刻)に 関する保存・活用の活性化事業」の一環として開催したものである。
 湘南キャンパスがある西湘地域では、1980 年代後半から 90 年代にかけて大規模な野外彫刻 展が開催されるなど文化活動が盛んであったが、近年は管理やメンテナンスが行き届いていな い作品が多く、保存と活用方法が問題視されていた。今回のシンポジウムは、大学や行政だけ ではなく、平塚市に設置されている野外彫刻の作者や市民を交えて、地域の文化資源である野 外彫刻の保存と活用について議論することを目的に企画したものであり、平塚市職員、市民ら 約 60 名が参加した。当日は午前中に参加者有志による平塚市役所周辺の野外彫刻の見学ツア ーを行い、午後のシンポジウムでは、はじめに篠原が趣旨説明と湘南キャンパス内に設置して いるブロンズ像のメンテナンスワークショップなど、これまでの取り組みについて紹介した。
 第1部では、屋外彫刻調査保存研究会会長の藤嶋俊會氏、平塚市美術館学芸員の勝山滋氏、 平塚市市民部文化・交流課課長の小菅正人氏、秦野市市民部専任参事の佐藤正男氏の4名が登 壇し、神奈川県における野外彫刻の歴史的背景や、93 年に開催された「湘南ひらつか野外彫刻 展」の当時の様子と、25 年経った現在の作品の状態などが報告された。また、本学と連携して 野外彫刻のメンテナンスを実施している秦野市の取り組みについて紹介した佐藤氏は、市民参 画による「彫刻のあるまちづくり」事業の概要を発表した。
 第2部のパネルディスカッションでは、野外彫刻展に出展された野外彫刻の作者8名が登壇 し、作品に込めた思いや、破損している部分の修繕についての要望が語られた。中でも、野外 彫刻展で作品「REVOLVE」が大賞となった中村ミナト氏は、「作品は作者の分身であり、何 年経っても気にかけています。移転や修繕など、折々に連絡していただきたい」と、市の職員 に向けて訴えかけた。また、参加者を交えた総合討論では、屋外彫刻調査保存研究会の高嶋直人氏が、山口県宇部市で学芸員・市民・彫刻家が連携して実施している彫刻の展示・メンテナ ンスの事例を紹介し、平塚市でも三者の連携によって作品の保存・活用を推進していこうと、 登壇者や市民から活発に意見が交わされた。
 シンポジウム開催後、小田原市からも問い合わせがあるなど、今回のシンポジウムで議論さ れた内容、すなわち野外彫刻等の保存と活用をめぐる問題が、各地の自治体等が抱えている今 日的な課題でもあることが改めて認識された。今後は近隣自治体、市民と連携し実行委員会を立ち上げ、改めて野外彫刻の保存と活用のあり方を模索し、その基本構想を提案したいと考え ている。具体的な活動としては、湘南キャンパス内で実施してきた彫刻メンテナンスの新展開 として、秦野市と協力して 12 月 8 日(土)に秦野駅前の彫刻メンテナンスを、市民とともに 実施する予定である。なお、地域連携誌『ちえん』の 10 月号に、秦野市職員、秦野市民を交 えた彫刻メンテナンスに関する記事が掲載されることとなった。また、「湘南ひらつか野外彫刻展のゆくえ 帰路に立つ彫刻」シンポジウムの記録報告書も今年度内刊行を目指して作成する予定である。

②シンポジウム発言要旨 藤嶋俊會
 80 年代後半から 90 年代にかけて神奈川県の西部、秦野市、小田原市、平塚市の 3 市で行わ れた県市共同主催の野外彫刻展については、2016 年 12 月 4 日(日)場所も同じ平塚市美術館のアトリエAで「かながわの野外彫刻地図―いたるところ彫刻あり」と題した発表で紹介した。そのときの報告がきっかけとなって、展覧会終了後平塚市内の公園などに設置された野外彫刻 のその後がどうなっているか、検証する必要が生じてきた。それは作品の一部に長期間の雨ざ らしによる劣化が生じていたことに気が付いたからである。場合によっては至急応急措置をし なければならないものもあった。
 しかし若い人たちにとっては、何故突然見たこともない野外彫刻を取り上げるのか、今一つピンとこなかったのではないだろうか、というわけで「野外彫刻とまちづくり―戦後彫刻の発展史」と「神奈川県・市共同の野外彫刻展」というタイトルでレジュメを作って報告した。し かもその動きの発端が神奈川県の鎌倉に 1951 年開館した県立近代美術館であったことから話 を始めることにした。近代美術館の館長であった土方定一は、彫刻は野外の自然の中に置くこ とが相応しいと考えていた。この土方の思想を形にしたのが 60 年代に宇部市や神戸市で実施 された野外彫刻展である。
 また 64年の東京オリンピックに合わせて真鶴半島の道無海岸では「世界近代彫刻日本シンポジウム」が行われ、60 年代後半には箱根に彫刻の森美術館が開館する。そして 70 年代、80年代になるとまちづくりと連動して野外彫刻が設置されるようにってくる。それが藤野町(現 相模原市緑区藤野)を舞台に繰り広げられた環境彫刻の設置であり、上述の県市共同主催の野 外彫刻展の考え方である。いわば神奈川県の野外彫刻の動きは日本の縮図でもあった。
 湘南ひらつか野外彫刻展が開かれてから 25 年、つまり彫刻作品は市内各地の公園に散らば って設置されてから 4 分の 1 世紀が経過したことになる。筆者は平塚市美術館で展覧会を見終わって帰る時、時々文化公園や市役所を突っ切って駅に向かう事がある。その時設置されてい る彫刻の傍を通りながら確認するのが常だった。特に市役所が新しく建替えられることになっ たとき、グランプリ受賞作品「REVOLVE」(中村ミナト作)の行く末は気になっていた。建て替えの工事は大分長期になっていたように感じたので、彫刻は再設置されるのかどうか一抹 の不安も横切った。前の設置場所があまりにも理想的だったからでもある。
 今回のシンポジウムでは、何故市内のあちらこちらに野外彫刻の力作があるのか、そのいきさつを知ってもらうと同時に、その後の問題、すなわち彫刻設置後のメンテナンスについて大分、札幌、仙台などの事例を付け加えて紹介した。

③「中村ミナト氏のメッセージ」の紹介 事務局(黒川)
1993 年の「湘南ひらつか野外彫刻展」で設置された作品は、作家の一人戸田裕介さんが述べ たように、いずれもその時期の重要作品であり、それぞれの作家にとって「代表作」の一つと も言うべきものである。作家たちの思いは、中村ミナトさんが公開シンポジウムで読み上げた次の文章に表れているので紹介したい。

「作者の立場で申し上げます。
 その当時 神田にありましたときわ画廊で彫刻の発表を続けていました。そこで湘南ひらつか野外彫刻展の募集を知り、応募しました。マケット審査—実制作—賞選考と云う図式のコンペティションで、1/10 のマケットを提出しました。幸運にも入選し実制作に入ることになりま したが、高さ 36cmの模型を3m60cmの実作品へと、10 倍に拡大するにはそのギャップが大 きく、内包する空間をもって空間を截り外への広がりを見せたい、との思いがありましたので、 1/10、1/5、1/3 と段階を追ってマケットを大きくし、細部まで自分で納得した上で実制作に入りました。50 個以上のパーツをボルトで繋ぎ、形にした作品でした。友人の大きなアトリエを借り、そして力も借り制作にかかりました。また、構造計算を建築の専門家に依頼し、倒壊事故の無いように念には念をいれ、地中にアングルを組みその上に作品を固定しました。平塚市総合公園にクレーンを使い組み上げると云う大掛かりな作業でした。
 平塚市総合公園での展覧で大賞をいただき、私の彫刻は平塚市庁舎の前庭に設置されまし た。移動の際は、解体せずそのまま基礎ごと、早朝に道を通行止めにして移築したと聞きまし た。その折には、方向、位置確認指示のため平塚市庁舎まで出向いたように記憶しています。 平塚に住む知人に前を通るたびに見ていると言われ誇らかな気持ちでした。
 設置から 20 年以上経ちました。その間、何度か自分の作った彫刻に会いにきました。作品 は作者の分身です。アルミの腐食が心配で来てみたり、何か構造上の変化は無いか確認にきたり、別の知人にそんな彫刻は無かったと言われて、びっくりしてまた来てみたりしました。そ の時はそこにあって、ホッとしました。市庁舎が新しくなり彫刻はどうなったかと心配になりました。もちろん見に来ましたが、ありませんでした。きっと捨てられてしまったんだと思っ ていました。
 しばらくして、偶然に出会った彫刻家に市庁舎改築のため彫刻を解体して保管してある、と 聞きました。解体したものの、パーツが多くて組み立てかたが解らず困っていると云うことで、 その方に再構築のために 1/3 模型をお見せし遠くから協力しました。その時不思議だったのは、 なぜ初めに私に連絡が無かったのかと云うことでした。何年経っても作者は作品に責任を感じ ています。今回も再構築のみならず、テーマに沿って空間との応呼を考え、より良く表せる設 置場所での位置や向きのことを、立ち会って関わりたかったと思いました。
 これから、ときどき折々に現状をお知らせいただきたく作者の立場としてお願い致します。」

3.「宇部市における市民による彫刻保守活動」 高嶋直人
 2018 年 6 月 17 日に本研究会が共催した平塚市の野外彫刻の保存と活用に関するシンポジウ ム内で、これまで取材を行ってきた山口県宇部市の「うべ彫刻ファン倶楽部」の活動内容を中心に、市内の彫刻をとりまく行政の体制を紹介した。今回は作品が設置された野外展の背景や、具体的な野外作品画像の紹介を加え、研究会の場で再度報告した。

 うべ彫刻ファン倶楽部は、当時野外作品の劣化が目立っていたことから作品の保全を目的に 2007 年に組織され、市内約 200 点にわたる野外作品のなかから 30 点程度の作品を対象に、学芸員指導の彫刻清掃を 1 年に 2 度の頻度で継続している。今回の取材では悪天候のため、清掃 に参加することがかなわなかったが、各市民グループや担当学芸員からの聞き取りから、参加者は年齢問わず各回 200 名程度が集まり、用具を揃え、のぼり旗を掲げながらの大掛かりな活 動であることがわかった。市内に設置されている多数の野外作品は、おもに 1961 年以降開催 されてきた「現代日本彫刻展」の入賞作品であり、50 年におよぶ時代のなかの彫刻作品を市民 が清掃、メンテナンスを行うことが出来るのは宇部市だけだろう。参加者はそれらを自身の財産という認識で直に触れて清掃することで、作品に親しんでいるという。また、宇部市と市民活動、作家間での体制について触れたが、うべ彫刻ファン倶楽部が独立して活動をしているわけではなく、学芸員が清掃に参加するだけではなく各作家との連絡を通して清掃マニュアルを 作成しているなど、市民活動との具体的な連携体制をもつことは特筆したい。
 様々な人や組織が関わりを持つ屋外彫刻は、当然それぞれの地域ごとに管理の方法も異なり、ましてや 1993 年単年の開催である「湘南ひらつか野外彫刻展」と2 年ごとの開催である宇部市の「現代日本彫刻展」の野外作 品管理の比較となると簡単には参考されない。しかし、うべ彫刻ファン倶楽部のような既存の市民活動の内容や成果、参加者のことばが、多地域の市民や行政が、連携して彫刻を財産と思う意識を揺り動かすことは出来るはずである。